プロローグ


その世界はとてもとても綺麗でした。
あの場所も、そこで過ごした日々も、とてもありきたりな言い方だけれど、僕にとっては大好きな宝物でした。
愛しています。
僕はもう、あなた達のこれからを側で見ることはできないけれど、
もしも、『彼女』の言うとおりなら、僕だっていつかまたあなた達に会えるのかもしれない。
神様、僕はやっぱり寂しいです。消えてしまうことが怖いです。
あの、不器用な彼を、僕もいなくて、彼女もいない間、笑わせてあげてください。
彼を一度も心から笑わせることができなかったのが、僕にとっての心残りです。きっと、僕じゃ最初からかなわなかったんでしょう。でも僕は、かなうとかかなわないとかどうでもよかった。

側にいれて幸せだった。僕は楽しかった。
ロゥリエ、どうかあなたが、彼女にまた会えますように。






『Clear』


僕はみるみるうちにしおれていきます。

たとえばよくある生き物のように、肌がしわしわになるとか、毛が白くなるとかではありません。僕を纏っていた空気が、光が、怖くなるほどの勢いでしぼみ、薄れて、濁ってゆくのです。言うなれば命が萎んでいくとはこういった様子なのでしょう。僕は、とうとう自分が終わってしまうのだと思いながらも、まだ実感がありません。消えるというのは、全く痛みも苦しみもないのでした。むしろまるでほろ酔いのように、気分は優しくて楽しくて気持ちがいいのです。不思議です。僕は僕自身が終わってしまったら僕ではなくなるというのに、僕の残骸からまた新しい命が生まれてくるのを感じて、震えるほどに幸せなのです。
僕らにとっての死が、こんなにも嬉しく優しいものであるなら、それをロゥリエやキコリに教えてあげられなかったことが少しばかり心残りでした。
きっと彼らはまだ死を迎えたことがないから、怖がったし、彼女の死にあんなにも喪失感を抱えていたのでしょう。花の命は短いと聞きます。きっと彼女は死というものを経験的に知っていたのかもしれません。だから笑って、また会おうねなんてロゥリエに言うことができたのかもしれません。
そしてふと、僕は怖くなりました。キコリはともかく、彼女だけではなく僕も、ロゥリエも、その命はあの木や森の命と比べたらずっと短いものでしょう。僕らは本当は、何度も生まれ、何度も何度も死んできたのかもしれません。その度に記憶はリセットされているとしたら？
知識は積み重ねられ、きっと僕らの種にこれからも残り続け、次々と上書きされていくのでしょう。
けれど記憶はあってもなくても自然にとってはどうでもいいことなのかもしれません。ならばなくてもいいと捉えるのが僕らの自然、神様です。
彼女はどういう意図でロゥリエに再会なんて約束したのでしょうか。本当は、また一から、出会いからやり直しなんじゃないでしょうか。僕がまたロゥリエに会えたときは、僕の会ったことのない違うロゥリエなのではないのでしょうか？
ああ、こんな風に急に死が怖くなるだなんて、僕はいよいよ死の間近にいるのかもしれません。
せめて思い出だけは胸に、安らかに眠りましょう。そうは言っても、僕の心はまだ穏やかなのです。


ふと、僕は薄れていく思い出の中で気づきました。
僕らはきっと、四人で一つなのです。実が生るからこそ花は咲くし、花は散るからこそ葉が姿を見せる。葉が生きているから木は命をつなぎ、木があるという事実ゆえに実が、種があるのです。
ロゥリエは知るべきでした。彼がキコリを生かしているがゆえに、蕾は再び熟し、きっと花が咲く。彼はきっと彼女に会えるでしょう。

僕の役割はただ、一つの木とそこにある命の行方を記録し、僕自身が新しい木となって森へ環えることだったのです。
僕は最初から、彼らの一部を見るだけの非日常で、
きっとこれからも彼らの元へは戻ることのない命でした。
そのことにようやく気づいて、僕は無性に泣きたくなりました。
あれはきっと、そう、夢のような幸せな日々だった。
この胸の痛みを抱えて、僕はきっと新たな木を芽吹かせ、花を咲かせるのです。


今なら僕は、一人一線を画したところに居ざるを得なかった、あの優しいキコリのことをやっと理解することができます。

キコリに幸せを。


ロゥリエに幸せを。




そしてできたら、いつか目を覚ます新しい僕の木にもありったけの幸せをください。


僕はいつの間にか、哀しくなって、泣いていたのでした。



さようなら。









さよう、なら。








（第一話へ続く）